前回のブログで書いた、小笠原協会の食事会で司会をした、母島の精神的な支柱とも言うべき人が、その食事会の翌日に亡くなってしまいました。
ウチにとっては、母島で最初に土地を貸してくださった母島ライフの扉を開いてくれた大恩人です
食事会の時も話したのに、突然すぎるお別れで、本当に信じられませんでした
泣き過ぎて、涙腺がゆるゆるです
母島が返還された当時から、荒れた土地を切り開き、街を作り、お祭りや、父母島のスポーツ交流会など、母島の暮らしを形作るすべてのことをその中心となって引っ張ってきたのだそうです。
寂しいけど、そういう母島を引き継いで、より良くしていこうと思います。
見守っていて下さい